英-先に、ゆくもの-雄

　立ち尽くすイーストファウの肩越しに、メサイアも部屋の中を覗き見た。ガラスが割れた窓から入る風の音。部屋の中に散らばるガラス片。そして、部屋の中央にうずくまる人。それが自分の知る人物だと気づくと、ただならぬ部屋の様子と相まって思わず一歩下がった。
　メサイアが下がるのとほぼ同時に、イーストファウは部屋の中心に駆け寄る。床にガラス片が散らばっているにも関わらず膝をつくと、うずくまっているエスレナの身体を抱えて仰向けにさせた。生気のない青白い顔、だらりと床に落ちた腕。何度か名前を呼ばれ、エスレナは意識を取り戻したが、ゆっくりと開かれた緑色の瞳に力はなかった。
窓を突き破った際に負ったと思われる切り傷以外に目立った外傷は見当たらず、ひどく衰弱しているものの意識を取り戻したことに安堵したのもつかの間。エスレナは激しく咳き込むと当時に、多量の血を吐いた。
「誰か……誰か、治療ができる……」
　そのおびただしい量の血を前に、イーストファウは完全に動転していた。何度も目を瞬かせ、震えそうな声と、叫び出したい衝動を抑え、懸命にできることを模索する。一緒に地上から移動してきた仲間の中で、比較的近くにおり、かつ、治療の術を持っているものは。周囲の空気が冷たくなっていくような気がして、呼吸が浅くなっていく中、ふと長い青銀色の髪が脳裏をかすめた。
「……そうだ、エターナなら。メサイア、エターナを呼んできて！」
「エターナ、さん……？」
「早く！！」
　普段の落ち着いた声とは打って変わり、悲鳴のようなイーストファウの声に気圧されて、メサイアはあまり状況をよく理解しないまま部屋を飛び出した。ぱたぱたと、忙しない足音が遠ざかっていく。
「……あかんて。ここ来る前は……ワテも、お医者さんやったんやから。自分が助からんのは、……自分が、ようわかっとる」
　あまりにも弱く、か細くなった耳なじみのある声が聞こえ、イーストファウは視線を落とした。からっぽの緑色の瞳が力なく微笑みながら、彼を見上げていた。イーストファウは首を何度も横の振りながら答える。
「そんなことない、エターナが助けてくれるよ。彼は魔法の才能もあるし、癒しの術だって」
「魔法が……そな、便利なもんやないって、……あんたも、気づいとるやろ。……あの子に、これを、魔法だけで治せえ言うんは、……あんまりや」
　イーストファウに、言い返す言葉はなかった。せめてメサイアが傍にいるうちはと堪えていた涙があふれ、眼下の生気のない頬を濡らした。ぐったりとしたエスレナの肩を抱き寄せ、その肩口に覆いかぶさるように顔をうずめて嗚咽を小さく嗚咽を漏らす。耳元で、彼が笑ったような気がした。
「なんで……誰が、どうして……、カトレアで何があったの」
「ワテの、焼きが……回っただけ、や。……落ち目の英雄なんて、よおいう……」
「英雄である前に、エスはエスでしょう！？　それに、落ち目だなんて、そんな」
「……そんなん言うの、もう……あんたと、エヴィードはんぐらいしか……おらんて」
「なぁ、イース……ごに、聞いて、くれへん？」

……

…

　部屋を飛び出したメサイアは、廊下を駆け、エターナが自室として使っている部屋に向かった。この大きな建物にはいくつもの部屋があり、各人が私室として使っていた。エターナはナギと共同で一つの部屋を使っており、それはこの階のひとつ上だと記憶している。階段を目指している途中、メサイアはそこから降りてきたメノウとばったり出くわした。
「先ほど、こちらから大きな音がしましたけれど……何かありましたの？」
「えっと……その……」
　不安げな表情で尋ねる彼女に、思わずメサイアは言葉を濁す。彼女の問いに答えたい、けれど、部屋の中の様子をそのまま伝えてよいものか。それに、今は一刻も早くエターナを探したい。窮しているメサイアのところへ、拍子抜けするような明るい声がかけられる。
「ねぇー、何かあったの？」
　メノウに続くように階段を下りてきたのは、ナギと……エターナだった。地を這うほどの長い青銀色のシルエットを見つけ、メサイアは声をあげた。
「エターナさん、来てください！　エスレナさんが、ひどい怪我を……！」
「……っ、案内してください」
　メサイアの言葉に息をのむ三人。一瞬、苦渋の表情を浮かべたエターナは、感情を押し殺すような声音で答えた。「こちらです！」とメサイアの言葉に従い、三人はその背に続いた。

……

…

　ほどなくして四人は部屋に到着し、勢いよく飛び込んだ。正面には割れた窓ガラス、床に散らばるガラス片が、微かな光を反射していた。薄暗い部屋の中央には、その場に座り込み、うなだれたイーストファウの背中がひとつだけ。窓から入る風に、長い金髪が揺れていた。明らかに普通ではない部屋の雰囲気に圧倒され、入って来た誰もが言葉を失った。静寂の中、イーストファウは振り返らないまま、感情のない声で静かに告げる。 「メサイアかな。さっきはごめんね、声を荒げたりして。驚いたでしょ」
「博士、あの……」
「……エスは、亡くなったよ。君が出て、すぐに。彼には最初から、わかってたみたい」
「ごめん、ひとりにさせてもらえないかな」

……

…